コラム

「捉える能力」が「幸せ」を生み出す

忙しくて心に余裕がないとき、道端に咲いている花が目に入らないことってありませんか?

存在に気づかず、イライラして通り過ぎていたり、踏みつけてしまっていることもあるかもしれませんね。

そのとき、仮に現実に花が咲いていたとしても、咲いていなかったとしても、その人の世界では「花は咲いていない」という現実になるでしょう。

私たちは、花を意識して、観て、初めてそこに花が咲いているという現実を世界に宿すようです。

こんな言葉があります。

「月は誰も見ていないときは存在しない」

これは、量子力学の世界観を表す言葉です。

「あらゆるものごとは、 私たちが意識していないときは可能性でしかなく、人の意識が介在したとき初めて現象化する」と考えられています。

つまりこの世界は、意識的・無意識的に関わらず、それぞれが観たいものを観ている世界ともいえるでしょう。

幸せも同じで、一般的に「幸せ」と呼ばれる現象が目の前に起こっていたとしても、花がみえていないように、それを観ていなければ無いことと同じなのでしょう。

また、目の前に花が咲いていたとして、それを見て幸せと感じる方もいれば、何も思わない方もいます。悲しい気持ちになったり、寂しい気持ちになったりする方もいるでしょう。

同じ現象が目に前にあったとしても、捉え方は人それぞれ。

つまり、幸せは、その人の内側にしか生まれないのだと思います。

大切なことは、どんな現象が起きたかではなく、そこからどんなメッセージを拾い、何に気づくことができるかどうか。

その「捉える能力」こそが、「幸せ」を生み出す力なのかもしれません。

そう考えると、暮らしの中で目に映るすべてが幸せのメッセージではないでしょうか。

皆さんの暮らしの中には、どんな幸せがありますか?

忙しい日々の中、少しだけ意識して観てみると、日々の何気ない出来事の中に大きな幸せの種が眠っているかもしれませんね。